平飼いの卵 つまんでご卵

つまんでご卵とは

  1. HOME
  2. つまんでご卵とは
  3. 創業者紹介

創業者紹介

社長と会長。ともに東京農業大学を卒業

(有)緑の農園 会長 早瀬憲太郎 経歴

  • 昭和22年
    岐阜県にて生まれる。昭和28年東京に転居
  • 昭和37年~39年
    国際家畜研究所(田中彰二 元代議士経営の種鶏場)に入りびたり、60年代の養鶏に、また当時としては最新の養鶏に触れる。
  • 昭和45年
    東京農業大学農学部農学科卒業。在学中は遺伝育種学研究室(現進化研)
    でニワトリを材料に研究を行い、ニワトリを産業動物としてではなく生物学的に研究。
  • 昭和46年
    就職できずに研究室に残る(無給)。同時に漫画が売れだし、漫画家生活に入る(少年サンデー、漫画ゴラクなどに執筆)。
    ペンネーム「鳥飼ケンタロー」「鶏飼い 早瀬憲太郎」。
  • 昭和49年
    私立高校講師(生物)を勤める。
  • 昭和50年
    東洋システム(株)入社。日本はおろか世界中を席巻したアメリカ鶏(この会社はハイライン鶏と特約)を、日本で初めて輸入した鶏の総合商社のグループ。後に同グループのワクチン部門、バイオ製薬(株)に移籍。現(株)ゲン・コーポレーション。
    日本中の超近代養鶏場、またその関連施設(孵卵場、飼料工場から選洗卵施設まで)を回り技術指導を行う。その間、ニワトリ産業の裏表を知り尽くす。その結 果「買って食べられる卵はない」との結論にたどりつき(一ヶ所あったが、その後大型ウインドレス鶏舎を建て、薬物大量使用農場に転落)、小学生以来の夢で あった「ニワトリ飼い」になる決意をする。
    この時あたまに浮かんだのは、小・中学生のころ入りびたった国際家畜研究所の種鶏場の平飼い鶏舎である。
  • 昭和61年
    慢性腎炎が悪化、休職を余儀なくされる。まもなく人工透析に入る。一時は落ち込んだが、逆に今が転機であることに気付き、退職・農園開設を決意、福岡県に農地を求める。
  • 平成1年
    福岡県糸島郡志摩町に養鶏場を開く。
  • 平成2年
    安全な食品をセットで供給するため、近隣の意識の高い農家・メーカーと提携、緑の農園を名乗る。
    これは、消費者のためというより、似たような体質を受けついでいるであろう自分の子供たちが、おかしなものを食べることによって、私と同じ道を歩まぬため、という意味がつよかった。
  • 平成4年
    「つまんでご卵」商標登録。
  • 平成6年
    開園以来の恒常的な卵不足を解消するため、増資・増設を決意する。
    飼料原料・混合割合、各種副原料を研究することにより、常に卵質の向上を図る。
    新しい農業技術の導入などにより、新製品の開発をこころがける。
    安全な農産物・食品についての啓蒙を、消費者に対して不断に行う。
    ほんとうの意味でレベルの高い食品、また食品関連のメーカーをさがし、協力関係に入ってもらう。
  • 平成11年
    直売店「にぎやかな春」を開設。つまんでご卵、鶏肉のほか、安全な食品の一挙販売を始める。
  • 平成20年
    ケーキ屋「つまんでご卵ケーキ工房」開設。主として「にぎやかな春」の食材を使用。国産無農薬石臼挽き小麦粉を使用した「ロールケーキ」はすぐに評判を博す。
  • 平成27年
    直売店「にぎやかな春」をリニューアル。トイレやキッチンを増設し、売り場もより明るく広くなった。これで、泣く泣くあきらめていた商品も置けるようになった。
  • 平成28年
    長年の夢であった食堂を「にぎやかな春」店内に開設。私(早瀬憲太郎)の舌の記憶に残る「昭和30年代の味」を再現した料理を提供する。
  • 平成30年12月
    息子である憲一に社長を引き継ぐ。私は会長職に就き、皆の養鶏のアドバイザーとヤギの世話係(主に散歩)を担う。

Copyright natural-egg. All Rights Reserved.